工業社会とデザイナー
工業社会がはじまるとともにデザイナーという職業は生まれました。
産業革命が起きる前から、人間は様々な道具、建築、ファッションを作ってきたわけですが、それらは職人がつくってきました。職人は必ずしもデザイナーではなく、デザイナーという職業が成立するのは、ものづくりが高度化する産業革命後になるわけです。
ものづくり社会とデザイナーは切っても切れない関係にあるわけです。
ものづくりが社会の中心になった工業社会・産業社会では、人間は様々な製品を大量に生産できるようになりました。
とはいえ、「何を、どれだけ生産するか」を決定するのは企業の経営者でした。工業社会の成立後しばらくは、経営者の目的意識は極めて明確で「儲けたい」ということに終始しました。製品を技術的に設計していく技術者は、製品の技術的な問題にばかり集中して、製品のデザインには無頓着でした。
近代芸術は、それまでの芸術家ら「機能」を取り除いて生まれた。
近代ものづくりは、それまでのものづくりから「美」を取り除いて生まれた。
このように、デザイナーという職業が生まれる前には、「美」と「製品」は切り離されていたわけです。いわば、製品には「機能」が備わっていればいいということです。
「形態(デザイン)は、製品を成り立たせる技術的な条件によって決まる」ということです。
職業「デザイナー」としてはじめて独立したのは、ウォルター・ドーウィン・ティーグです。彼は1926年、Kodak社の人気商品であるカメラ「Vanity Kodak」をリニューアルしました。そして、翌年独立してデザイン事務所を立ち上げます。
1929年には世界大恐慌が起き、世界中でモノが売れない状況となり、デザイナーが一気に注目されます。なぜなら、デザイナーがデザインした製品が着実にに売れたからです。経営者層からのデザイナーに対する視線は大きく変化しました。
実は、デザイナーと不況も切っても切れない関係にあります。デザイナーという職業が成立するのも、デザイナーが高く評価されるのも「不況」に際してなのです。
景気が良ければ、それほど消費者も購買行動に注意を払わず、機能があるものを手っ取り早く入手しようとします。しかし、購入できる金額が決まってくる不況時には、機能についてもそれほど高い水準を要求するのではなく、身の丈に合ったもので、生活を豊かに感じさせてくれるものを求めるようになるのです。
また、別の視点から見れば、技術が急速に進歩する時代には、技術が主導して製品は作られていきます。しかし、技術の進歩によって製品に反映される機能には限界があります。なにしろ、消費者は専門家ではないので、生活に必要のない機能はいらないのです。消費者のニーズを超えた機能が売り出されるような状況になると、「美」と「機能」の大規模な調整が行われると考えてもいいかもしれません。
実際問題、400キロのスピードが出るファミリーカーは必要ないように。
このように見てくると、特に不況などの経済環境の変化ばかりではなく、社会のニーズや考え方、技術進歩の方向が変化するときに、デザイナーは重要な役割を演じるのだといえるのではないでしょうか。
評論家や“大人”はよく「今は変化の時だ。社会が大きく変化しているんだ」といいますが、実は社会は常に変化していて、社会が変化していないときはありません。
ただ、日本のものづくりが世界で優位性を保てる、もしくは私たちが豊かに暮らすために世界中からお金を吸い上げるためのものづくりが十分に機能しなくなるリミットが近づきつつあることは確かなようです。この傾向は1980年代からあったわけで、それが30年近くゆっくりと、着実に進んできました。もう、「ものづくりだけしていればいい」ということはできなくなるでしょう。
これはデザイナーについても大きな問題を投げかけます。ものづくり社会の成立とともに生まれた職業であるからこそ、日本のものづくり産業が危機に立つとき、デザイナーも職業として危機に立つわけです。
産業革命は、芸術から機能を取り去り、ものづくりから美を取り去ったのですが、もしかしたら、ものづくりに美を取り戻すことが「特色あるものづくり産業」を生み出す大切な点のかもしれません。
デザイナーは製品に美を注ぎ込んできました。しかし、そこには冷徹な「分析」があり、マーケッターによる制約がありました。もっと芸術を大切に考えてみることも必要でしょう。送り手側のメッセージを強め、訴えかける力が強い製品を作っていくことが日本製品だから買うというニーズを生みだすのではないでしょうか。
イタリア製品にはイタリアらしさ、ドイツ製品にはドイツらしさ、英国製品には英国らしさがあります。
これらの国はかつては工業国でしたが、いまは鳴かず飛ばずです。でも、それなりのものづくりを続けていて、それなりに世界市場で需要があるわけです。
日本は「過去の工業国」の仲間入りをしようとしているのですが、そのとき、「日本製品には日本らしさ」があるのでしょうか?
シンプルなデザインは日本製品の美の基準ですが、それをさらに突き詰めて、さらなる日本らしさを極める努力が必要なのかもしれません。それは雑貨についても同じことで、日本らしい雑貨デザインを突き詰める、努力が強く求められています。